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私は、陸中海岸国立公園内に位置する宮城県気仙沼湾で、主にカキと帆立貝の養殖をしている一漁民である。私は、親の代から始めた養殖業の二代目で、現在は息子が三代目として後を継いでいる。孫が生まれたのでおそらく4代目も後を継いでくれるのはないかと思っている。魚の養殖業というと、毎日餌を与えなくてはならないと考える方が多いと思うが、私が扱っているカキや帆立貝、海草などは、人間が餌をあげたり肥料をあげたりする必要はない。言い方を変えると、自然界そのものが良好でなければ成り立たない仕事なのである。4代目にも私の仕事を引き継げるだろうと思うのは、気仙沼湾の海は、彼らが仕事ができる環境を取り戻しつつあるといえるようになったからである。私は、全国の沿岸域を見る機会がたくさんあるが、一昔前に比べて海がきれいになったと言えるところや、以前よりも魚介類がたくさん獲れるようになったという場所は、ほとんどない。どこへ行っても「昔は良かった」という話しか聞こえてこないのが現状なのである。そんななかにあって、私たちの気仙沼湾は、少しずつではあるが環境が良くなってきていることを、私自身が実感しているのである。
私は、昭和36年に気仙沼水産高校を卒業すると、親の手伝いを始め、現在まで約40年に渡りカキや帆立貝の養殖業に携わっている。 カキの養殖は、広島県と宮城県が有名である。カキの産地であるためには、カキのいかだを浮かべることができる波が静かな湾であるという条件と共に、カキの種が獲れるかどうかが重要である。それゆえカキの産地は広島湾と仙台湾なのである。広島湾には太田川が、仙台湾には北上川が注いでいる。カキのメスは卵を約1億個、オスは精子を約10億を生む。夏、産卵が始まると河口の海は牛乳のように白濁する。そこで体外受精によってカキの赤ちゃんが産まれる。そのとき、太田川、北上川河口には、南風が吹き、受精したカキの赤ちゃんは、河口に滞留するのである。そこで我々は、「種がき作業」を始める。カキは生まれて2週間位するとモノに付着する性質がある。帆立貝の殻に穴を空け針金に通し海中に沈めると、この殻にカキの赤ちゃんが付着する。そのまま水に付けておくと、カキはどんどん成長していく。あまり早く成長させてしまうと柔らかくて丈夫でないカキになってしまうので、宮城県の場合は、干潟に竹の杭を打ち、竹を渡し、満潮になると水をかぶり、干潮になると太陽にあたるような水位に棚を調整し、ここにカキの種を並べておく。こうして、毎日満潮と干潮にさらす。そのなかで、弱い種は死に、強い種は貝の殻にがっちりついて非常に丈夫な種ができる。3ヶ月ほどこの作業を行い、10月位になるとこの棚をはずす。この種は、広島や大分まで運ばれるが、大変丈夫でめったに死なない種だ。我々は、「垂下式」養殖というこの方法で種の流通を行っている。この「宮城種」と呼ばれる種がきは非常に優良で、国内はもとよりフランスやアメリカなどにも種がきとして輸出されているほどなのである。 私が、カキの養殖業に従事した最初の頃は、海の環境には全く何の問題もなかった。 ところが昭和40〜50年頃になって、海が変わってきた。当時、日本は高度経済成長の渦中にあり、東京湾を始め各地の海では埋め立てや工業化、工場廃水などによる公害や環境問題が現われ始めていた。内湾の水は一度汚染されると浄化するための回復は難しい。昭和50年代には汚染がピークに達し、気仙沼湾でも赤潮が大発生した。赤潮プランクトンは、秋になると北西の季節風に乗って私たちの漁場まで流れてきた。一個のカキは、人間と同じように呼吸のために海水を吸って吐いている。カキは一日200リットルの水を吸う。水が赤潮プランクトンで汚染されているということはそれだけの量のプランクトンを吸うことになる。たちまちカキは赤くなっていく。「血ガキ」の被害である。売り物にならず、苦境に立たされた。当時はノリの養殖もやっていたので、ノリも売り物にならず全滅した。その頃を境にして海の仕事をあきらめて丘にあがっていった友人もいる。ただ、私は生き物を扱うこの仕事が好きだったので、何とか歯を食いしばって、砂をかむような思いで仕事を続けていた。次の世代に良い海を残してあげたいという想いもあった。 当時の私は、海の環境を左右するのは海だと思い込んでいた。しかし、私は、あるできごとによって、この海の環境を守るためには、森の自然が重要であることに気がついたのである。それは、1984年にフランスにいったときのことである。 フランスのロワール川の河口に、フランス最大のカキの養殖場があるのだが、そこを見学に行く機会を得た。フランスでは、干満の差が大きいために、塩が引いたときにカキの種を蒔く「地蒔き式」という方法をとっている。ロワール川の河口のカキは、非常に健康だった。しかも養殖場となっている干潟には、たくさんの潮だまりがあり、そこには、ヤドカリやエビなどの生き物がたくさんいるのだ。私にとっては、なつかしい面々だ。当時の三陸の海は、とても貧弱な海だったので、フランスにいって、生き物豊かな海をみたとき、まだこういう海があるのかと大変驚いたものだ。旅の途中、ナント市でフランス料理を食べた。そこで、うなぎの稚魚の料理がでた。ロワール川にはうなぎの稚魚がたくさんいるというのだ。うなぎが川にいるという状態は、川の環境が良好であるということである。三陸の海にも私が高校生の頃にはうなぎがたくさんいたが、今はそのうなぎもいない。 川は、人間の生活と密接にかかわっている。川の環境を悪化させない人間の営みがあるということである。ここで私は、海の環境を守るためには海だけを見ていてはだめだと気がついたのである。海に流れ込んでくる川の環境も見ないとだめなのだ。ロワール川の流域は、国をあげて保全しているところだった。つい最近、ロワール川流域は世界遺産に指定されたほどである。この川の流域の自然は、ナラやブナ、クリなどの落葉広葉樹林だった。落葉広葉樹の森に雨がふると、針葉樹林と異なって腐葉土層が厚いために、雨は保水され浄化され、川に染み出ても川は濁ることはない。しかも、栄養分の高い水が川に流れ込む。流域には、小動物などの生き物が生息し、川全域が自然豊かな環境が保たれているのだ。考えてみれば当たり前のことなのだが、漁師は海ばかりみていて、自分の後ろに控えている自然に目を向けることがなかった。そこで、私は自分の後ろ側を見なくてはならないと気付いたのだった。 気仙沼湾はリアス式海岸である。リアス式海岸の定義というと、「ぎざぎざの海岸線」と答える方が多いだろう。「リアス」という言葉はスペイン語である。リアス式海岸のルーツは、イベリア半島のガルシア地方に見ることができる。「リア(入り江、潮入り川)」に複数形の「ス」が付いたものである。リアス式の本来の意味は、海の波が削ってぎざぎざの海岸線になったのではなくて、「川が削った谷」によってぎざぎざになったのである。地殻変動や隆起、氷河期などを経て、潮がゆっくりと谷に入り込み侵食してできた地形なのである。 こういう視点でものを見ていくと、我が三陸の海は、どんな小さな入り江にも小さな川が流れ込んでいる。川によって植物プランクトンが大量に発生し、海水中に窒素やミネラルなどの栄養分が豊富になる。川の上流の森は、ナラなどの落葉広葉樹林である。この森の環境を守らなければ、海の環境を守ることはできない。そう気付いた私は、海の環境を守るために、気仙沼湾上流の室根山に木を植えようと呼びかけ始めた。その後12年にわたり、約3万本もの落葉広葉樹を植林してきた。いまでは、「漁師が山に木を植える運動」は日本各地に広がっている。 私たちが育てているカキの種「宮城種」は、健康で優良で世界最強の種ガキである。このカキには、岩手県内250キロという距離を、ブナの原生林に降った雨がずっと流れ出て、北上川として宮城県の湾に流れてくるというドラマが展開されているのである。したがってカキをみるということは、そこの川の流域の、人間生活や農業や森林、自然全体をみることになるのである。
私はまた、山の植林と同じくらいに、子供たちに対する環境教育に力を入れている。 平成2年から子供たちに体験学習を始めて、毎年500人位の子供たちを受け入れてきた。すでに5000人を越える子供たちが気仙沼にきて、海と山がどのようにつながっているのかを実体験してもらっている。 先日も東京の中学3年生40人が体験学習に訪れた。気仙沼で客船を貸し切り、リアス式海岸に沿って湾を案内し、その後、私たちが子供たちのために作った櫓でこぐ昔ながらの木造船に子供たちを乗せ、子供達にも櫓をこがせた。また、船を繋いでおく桟橋のまわりに、石を置く。満潮になると石が水につかるのだが、そこに魚や貝の断片を置くと、あっという間に海の中にいるスジエビや生き物が石垣の間から集まってくる。私が子供の頃は、スジエビはメバルを釣るための餌にしていたが、昭和40〜50年代にかけてこういう生き物は全くいなくなった。それが、今、子供たちの前に30〜40匹位がわっと集まってくるのだ。そのエビは手が長いので貝や魚の断片を挟み食べる。エビだけでなくうなぎなども集まってくる。子供たちはそれを見て、興奮する。私自身も子供の頃、このような生き物を遊び相手にしてきたので、すっかりいなくなって諦めていた彼らが、今このように再びよみがえって目の前にいること自体がとても嬉しい。またエビが増えているということは、そのエビを食べるスズキなども集まってくる。海の自然が豊かになってきたということだ。私は、環境教育といっても何も難しいことをしているのではなく、本物の生き物がうごめいている自然の本来の姿を、子供たちに見せているだけである。 人間の意識が少し変わるとこういう世界はまだ取り戻せる可能性があるということを子供たちに伝えたいために、体験学習を行っている。これからも、森の自然を守る活動とともに、なぜここまで自然本来の姿を取り戻すことができたのかということを、さまざまな体験を通して子供たちに教えていきたいと思っている。 |
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