ケビン・ショート氏
講師紹介
ケビン・ショート氏
ナチュラリスト。1949年米国ニューヨ−ク生まれ。1972年に来日。1975年上智大学を卒業後、1991年スタンフォード大学にて博士号を取得。自然に関するエッセイを寄稿するかたわら、TV、ラジオや自然観察会、講演会などを通して、環境教育を行っている。現在、東京情報大学環境情報学科教授。


1. 自然との原体験


ケビンという僕の名前はアメリカではとてもありふれた名前だ。この名前を持つ人は、アイルランド出身者が多く、僕の家系もアイルランドからニューヨークに移民してきた。僕の亡くなった父は典型的なサラリーマンで、僕は、ニューヨークのブルックリンという下町で育った。我が家は、夏休みの丸々3ヶ月を田舎ですごすことが定番で、ニューヨークから北西に向かって車で1時間ほど行ったアパラチア山脈で毎年の夏をすごした。僕が中学に進学する頃、ブルックリンからこの田舎に引っ越した。父が子供達を自然環境の良いところで育てたいと思ったからだ。そこは、アメリカの典型的な酪農地帯で、日本の里山とは違い、果てしなく牧草地が広がり、牛が放し飼いにされ、りんご畑やとうもろこし畑、かぼちゃ畑などが続く。森は、日本の東北の真ん中あたりの森に似た落葉樹で、豊かな自然があった。

僕は幼い頃から自然が好きで、いろいろな大自然を探検したいという憧れを持っていた。しかし、そのような気持ちは、田舎で生活するようになってから抱いたのではなく、僕と自然との出会いの原点は、じつは大都会ニューヨークはセントラルパークの西側にある「アメリカ自然史博物館」にある。僕が2,3歳の頃、父がそこに連れて行ってくれたのだ。そこで、僕は大自然に一目ぼれした。恐竜のジオラマが素晴らしかった。生態展示や動物の剥製、動物が暮らしている環境が復元され、動物が暮らしている自然の姿も立体的に、素晴らしく展示されていた。僕はすぐにその世界に吸い込まれてしまった。たぶん幼い僕は、想像の中で地球のあちこちの自然を探検したのだと思う。シベリアや熱帯雨林や、手つかずの大自然、雄大な自然に。僕は、ここで典型的なアメリカの自然観とはどのようなものであるかを学んだ。大自然に憧れ、手つかずの大自然こそが大事な自然だという意識を持った。そして、それから、僕は弟と一緒に自然の中でおおいに遊んだ。



2. 日本の自然との出会い


僕が日本に来たのは、30年ほど前、陸軍に徴兵され兵隊として座間基地に来たときである。日本に来たばかりの頃は、自然や探検への憧れは一時的に沈んでいたが、消えてはいなかった。日本は僕にとって初めての外国であり、とても新鮮で魅力的だった。そして、だんだんと日本の自然や風景、歴史に関心を持つようになっていった。
最初は1年半位滞在してアメリカに帰ろうと思っていたが、30年たった今でもこうして日本にいる。

一度アメリカに帰り、15,6年前に再び日本に戻ってきた。そして、今僕が住んでいる千葉県の印西市を見つけた。僕はここで、日本の田んぼや雑木林、畑などの自然と出会った。農村の集落もそのまま残っている。風景的には、アパラチアのような原生自然ではないが、僕はここの自然を見たときに、とてもなつかしいと思った。人間が暮らしている自然だと感じた。僕が子供の頃、遊びまわっていた自然の楽しい思い出と重なる部分があったのだと思う。そうして、印西市街のニュータウンの回りの自然を少しずつ観るようになっていった。大自然ではなく、全く人がつくった自然。でもよく観ると、カエルや草花や動植物がたくさんいる。ため池には、アメリカと同じウシガエルがいた。ウシガエルの声は日本人にとってはうるさい声かもしれないが、僕にとっては美しい音楽に聞こえる。僕は、日本の田んぼや畑をみて、アメリカの大自然だけでなく身近な自然も豊かな自然であると、考え直した。原生自然と同じように、大事な自然であると。

日本には人々の暮らしに近い、規模の小さい自然が多い。その中で生息している生き物がたくさんいるということは、自然が大変豊かであるということだ。道ばたの野の花や昆虫に気がつくだけで、自然と触れあえることができるのだ。週末や夏休みだけでなく、日常生活のなかで触れあえることができる。身近な自然は、人間と自然の関係を取りもどすための大きな存在であることを、僕は評価した。

それからは、僕は自分のことをあえて「ナチュラリスト」と言うことにした。本当は、誰でもいつでもどこでも「ナチュラリスト」になることができる。
ただし、「ナチュラリスト」になるためには二つの条件がある。

まず一つは、「好奇心を持つ」ことである。自分のまわりの環境について、「もっと知りたい」という気持ちがあるということ。
二つめは、「体験する」こと。本を読むことも大事だが、体験することはもっと重要である。例えば、ここから新宿の駅に行くまでの間にケヤキの実はどうなっているのかと関心を持って街路樹を観察することである。これは、何も専門的な知識がなくても誰でもできることなのである。見たり聞いたり、触ったり臭いを嗅いだり、味をためす。これらを通して、自分のまわりの環境について「知る」、これらを通して、我々の現代社会に欠けている「穴」を埋めることができるのだ。情報は二次的に入ってくる。誰かがつくった情報を何かを使って受身的に得る。これだけでは物足りない。我々人間は、自分の観察力を使って積極的に自然からの感性を受けたい生物であるはずである。ただし、焦る必要はない、自分にとって興味のあるものを選べば良い。自然を知るコツがだんだんわかってくるはずだ。
そうすれば、週末や夏休みに国立公園に行ったときに、普段から自然の楽しみ方が身に着いているので、大自然をさらに深く楽しむことができる。

僕は自然観察をするときにいくつかの道具を使う。まず鉛筆、そしてルーペ。ルーペは3.5倍〜8倍くらいの物で十分である。ルーペを使って花のしくみや虫の観察ができる。またそれを描いておくと、記憶に残るので、忘れない。双眼鏡があればバードウオッチングができる。僕は7〜8倍を使っている。それから僕は読み終わったペーパーバックス型のミステリー小説をポケットに入れている。花を押し花にするときに最適なのである。何日後かにラミネートに入れて、身近な植物の標本を作っている。

僕は、約15年かけて、植物や動物などのフィールドスケッチを描きためている。この、四つ折にして製本すると身近なブックになるフィールドスケッチを、僕は自然観察会に参加してくれた方々にさしあげている。




3. いろいろな自然体験


印西市にある千葉ニュータウンに近い雑木林は、典型的な関東地方の里山、いわばカントリーサイドだ。ここには谷地がある。そして東京の真ん中にある新宿御苑にも同じような自然景観があるはずである。ここから自分の好きなテーマを選べば自然体験ができるはずだ。僕が好きなテーマは、雑木林の縁の日当たりの良いところに生えているツル植物を観ることである。例えば、アケビ。関東の人はアケビの中身を食べて、まわりは捨てるが、東北の人は、中は食べずに皮の部分に何かを挟んで焼いて食べる。

僕は、植物を観るだけでなく、地元の人に、その植物と人々との生活との関係を聞くこともとても好きだ。これは、自然と文化の関係を知ることである。例えばヘクソカズラは、潰すと臭いがどこにでも生えている。少し山に行くと、実は冬でも残っている。実を潰して「ほっぺた」に付けると「しもやけ」にならない、いわば天然の薬であると、地元のおじいさんから聞いた。同じように、カラスウリを潰した「汁を足につけると早く走れる」ということも地元の人から聞いた話の一つだ。

少し都心から離れれば、日本にはすぐにカントリーサイドがある。キャベツ、ダイコン、ネギ、ソラマメなどの畑や休耕畑がある。このような場所を観察するのもとてもおもしろい。千葉にはまだ、ウサギの足跡を観ることができるし、タヌキもいる。
動物の痕跡を見つけることも楽しい。身近な自然を通して日常的に練習しておくと、国立公園のような大自然のなかに行ったときに大いに役立つと思う。

それから、雑木林は素晴らしい自然である。雑木林は20〜30年にわたって、下草刈りや間伐、炭焼きなど、人の手によって管理されている。切っても切り株から新しい芽が生えてくる。雑木林を管理することは、とても大切な自然との関わりである。日本の雑木林にはとても多くの生き物が生息している。そして、同様にため池もまた素晴らしい自然だ。
不忍池や石神井池、井の頭公園などのため池も人工ではあるが、日本人が利用してきた大事な水場だ。昔から湧水が出るところには神様がいる聖なる場所として、水神様の社を立て弁財天を奉った。人間がつくったものではあるが、自然の聖域となっているのだ。



4. おわりに


現在、環境問題や自然保護に関心を持つ人は増えていると思う。しかし、まだどこから関心を持てば良いのかわからない人も多いと思う。僕は、一番理想的な取り組み方は、自分の身近な自然を体験するフィールドワークだと思う。自分の住んでいる地域について、自分自身が自然を体験し自然を理解することによって、一人一人が思想を持って環境問題に取り組むことができると思う。

そうして、国や地球全体に対して、正しく自信を持ってさまざまな環境保護ための活動に取り組んでほしいと願っている。



 
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