講師紹介
高木 美保氏
女優。東京生まれ。
1984年映画「Wの悲劇」でデビュー。その後多くのTV、映画で活躍。
1998年より栃木県那須高原に移住し、芸能活動のかたわら農作業や園芸に取り組む。
私は、この秋、自分の手でカマを使って稲刈りをした。田んぼの水はもう抜いてある。稲穂が金色に頭を垂れて、これが今年の努力の成果だなとしみじみ思った。隣には干からびて死んでいるオタマジャクシがいたり、イモリがいたりする。稲刈りをしていて根元にいたカエルをカマで切ってしまって内臓が飛び出てしまったり、気持ち悪い体験が実りの隣にある。これが自然である。数字やデータでは出てこない、生々しい自然なのだと実感する。
私たちが物を食べて生きていく。その傍らには常に犠牲になっている命があり、私たちはその犠牲に対して何もしてあげられない。私が田んぼをつくり、稲刈りをしてできたお米のご飯を食べるその行為の過程では、たくさんの生き物を殺している。現在活発に行われている環境教育は、熱意のある先生方によって良い教材ができたりして、とても良いことだと思う。しかし、教科書からだけでは、私たちが生きていくために、常に他の生き物たちが死んでいるという痛みの部分は伝わってこない。私たちが犠牲にしている命に対して、いつの間にか気がつかなくなっている。これ自体を責めることはできないが、痛みを知らないままでいてはいけないのではないだろうか。
ご飯を食べるとき、「いただきます」は誰のために言うのだろう。「ごちそうさま」とは誰のための言葉だったのだろう。小学校のときは、お米や野菜をつくってくれた農家の、魚をとってきてくれた漁師の方、山の仕事をする林業の方たちに、感謝の気持ちをこめて「いただきます」、「ごちそうさま」って言うんだよと教えられたと思う。でも、私は実際に自分で田舎暮らしをし、農作業をして思うことは、「いただきます」、「ごちそうさま」という言葉は、つくってくれる人のためだけに言うのではない。むしろ、自分たちの命を犠牲にして私たちという人間を生かしてくれている、この同じ地球上に生きている多くの生き物たちに対して言わなくてはいけないのだと強く思うようになった。
頭では、何となくわかっていたことだが、でも自分が実際にカエルの身体を真っ二つにしてしまったり、ネズミや虫を殺してしまったり、生きていくためにはそういうこともしなければならないということを初めて体験した。知識として理解すると感心はする。でも、体験として自分で痛みを感じたり喜びを感じると、大きな感動が得られる。この感心と感動には大きな違いがある。私たち大人は、若い人たちや子ども達にこの違いを伝えなくてはならないと思う。そのためには、学校でなされている環境教育だけでは、まだまだ足りない。それを伝える先生が必ずしも自然環境の中で多くの体験を積んでいるわけではない。親たちが自然の中で遊んだりしてきたわけではない。現代人の親が現代っ子を育てているという状況の中で、どうしたらリアルな生々しい体験を伝え、そこから得た感動をぬくもりのある言葉で伝えられるだろう。それをやらなければ、どんなに環境教育をやっても、大学の先生が一生懸命研究をされ成果を伝えても、たぶん学校の成績には反映されても、その子の人生観には反映されないのではないかと思う。私たちが今までやり残してきたことはまさにそういうことではないだろうか。
私がなぜ田舎暮らしをするようになったか。芸能界はとても過酷な競争社会だ。無理してでも頑張らないと生き残れない。私はそのような世界の中で生きてきた。芸能界の仕事をしていると、簡単にいろいろな所に行っておいしいものを食べて良い思いはできる。有名になってお金も得られるようになる。私自身は何も変わっていない。人間としてもまだまだ未熟な人間。なのに、有名になった途端、周囲の扱いが変わってしまう。昨日までと違う私がどんどん先を歩いていく。そのような状況の中で、私はやがて、自分自身の胸の中にぽっかりと深く大きな穴があき、それがどうしても埋められないものであることに気がついてしまった。働いても働いても埋められない空しさ。自分が何のために生きているのか全くわからなくなった。私は、心を病んだ。そんなとき、仕事で青森県の奥入瀬渓谷に行った。そこで出会った自然は、私に強烈な印象を抱かせてくれた。森の中を歩くと落ち葉を踏む音が聞こえる。足元からはコケの匂い。だんだん穏やかな気持ちになってくる。渓谷の水に手をいれると本当に冷たくて、頭まで冷静になっていく。森の木は皆、冬枯れし葉を落としていたが、私の目にはとても生き生きと輝いて見えた。それはたぶん私が葉を落としていた木よりももっと枯れていたからかもしれない。葉を落とした木の生命力、春に向けて新しい命を育んでいる木々たちの生命力を感じ取ることができたのではないかと思う。
あの奥入瀬の自然との出会いで、私はそれまで自分が忘れていたものにようやく気がついた。それは、頭では計算できない時間の存在だ。自分の都合通りに物事が動けば満足できていた自分に対する疑問。本を読んで知識を得ることによって利口になったような気がしていたうぬぼれた感受性。私がやらなければならなかったことは、なぜ自分が日本人としてこの時代に、この姿形で、この声で、この弱い体で生まれてきたのかということ。
地球が生まれて46億年。とても想像できないはるかな数字。3億5千年前に水の中から生命が陸へ上がり、人類へと進化していく。その気の遠くなるような過程のなかで、魚になったり両生類になったり、鳥類になったり類人類になったり、奇跡的な偶然が重なって私たちは、たまたま人間になった。これを思ったとき、これを単なる偶然と考えていいのだろうか。もっと必然的なものがあるのではないか。私という人間が生まれてきたこと。自然が人類に課した使命があって、その使命を果すために、じつは緻密に積み上げられた必然のために、私たちはここに存在しているのではないか。
私は、もっとそういうことを知りたかった。そのときはまだ自分の中にある空しさは完全になくなってはいなかったが、自分の中に進むべき方向性が見つけられたような体験だった。そして私はいつか田舎暮らしをしようと決意した。仕事は減らしたが、その分一つ一つの仕事を大切にやっていこうとした。自分なりにきちんと地に足をつけ考えて仕事をしようとした。そして、1998年11月、栃木県那須高原に引っ越した。
私は、とにかくまず自分の健康を取り戻し、丈夫な身体になりたかった。そのために自然から何をもらえるだろう。それを考えて一番先に出た答えが、有機無農薬の畑で作物をつくることだった。最初に耕した畑は60坪。父と二人で冬の間、クワを使い汗だくになりながら土を耕した。私の生まれは東京都葛飾区。一時期千葉でも育ったが土に触れることなどなかった。私は生まれて初めて本物の土に触り、本物の土を足で踏みしめて土と格闘するという経験をした。最初は身体が動かなかった。
翌年の春には、近所の酪農家の方からいただいた有機肥料をまいた。といっても畑仕事をしたことがないので、近所の農家の方にずいぶん助けていただいた。近所のおじいちゃんには、「素人では有機無農薬なんてできないよ」と言われたが、私は自分で体験してみたかった。先入観なく自分の農業をやってみたかった。そしてまず、私はトマトがとても好きだったので、トマトをつくろうとした。おじいちゃんに教えてもらって農家用のお店から種を買ってきた。種を植えるのは3月なので、冬を越させるために、24度の温度を保つトイレですごさせた。春、芽が出た。生まれて初めてトマトの芽をみた。茎は髪の毛ほどの細さ。うねりながら上にむかって伸びている。双葉がついている。私は、その姿がサザエさんに登場する波平さんの頭の毛に似ていたので、その芽に「波平さん」と名前をつけた。あまりのか弱さに、私はこの波平さんがトマトになるとは思えず、これはだめだと思った。諦め半分で家の南側に置いた。それから1月半くらいして、また農家のお店にいって、キュウリ、ナス、ピーマンなどの苗を全部買ってきて、畑に植えた。さすが、プロが作った苗は私の苗とは違って株もとてもしっかりしている。我が家の波平さんはと言えば、あいかわらずだが、枯れてはいない。そして、波平さんをプロの苗の隣に植えてみた。しばらくすると、波平さんはプロの苗と一緒に育っている。7月頃に黄色い花が咲いた。実もついた。トマトになったのだ。そして波平さんを食べてみた。それは、それまで味わったトマトとは違う味がした。なんともいえない微妙な味だ。母は「懐かしい味だね」と言った。そして驚いたことに食べて15分くらいしたらお腹の底がじわーっと暖かくなってきたのだ。私は実感した。トマトというのは、単なる名前なのだ。他の野菜や生き物もそうだ。人間が分類するために便宜上つけた名前。もともとは命という共通の冠をつけたものなのだ。その命を食べるという行為を通して、自分の体内に取り入れることで私たちは生かされていたのだ。誰もがわかっていたようでなかなか実感できなかったことを、私は実感した。
この話をいつものおじいちゃんたちに話すと、「そんなこと本当にあるの?」という言葉が返ってきた。私は、田舎の農家の人だから「そうだろう、だから農業ってすばらしいんだよ!」という言葉を期待していたのだが、そっけない反応だった。
私は、自分がうぬぼれていたことに気がついた、波平さんは誰にも期待されなかったのに、自力で成長した。命というものはもともと自分で生きようとする力を持っている。それはたぶん人間も同じだろう。それを私は「自分が育ててあげるのだ」と思い上がっていた。そうではないのだ。波平さんには、波平さんの育ちたいペースがあったのだ。波平さんを育てたのは、私ではなくて、自然の太陽の光や風、土、水なのだ。私たちはその傍らで少し手助けをしただけ。私たちはそういう存在なのだ。「つくってあげる」などという横柄な言い方はあまりにも無礼なのだ。
もし、私が将来子供を持つことがあったら、その子の育ちたいペースを守ってあげたいと思う。その子が生きたいと思う方向へと手伝いをすればいい。私はただ、その子の生きようとする力を信じて、生きようとする力を尊敬して、親としてその命を育んであげたいと思う。
このような体験をしてから、私は毎日の生活の中で、何も特別なことはなくても幸せだなと実感できるようになった。それは、うまく言えないが、じんわりした滋味なもの、しみじみと沁みていくような、でも消えない、深いものである。何はなくても生かされているということの喜び、それを実感して、そして何もなくても生かされていることを大声で言えるということが本当の幸せなのではないか、そう思えるようになった。こんなふうに思うことは今の社会には何の評価もされないかもしれない。私たち人間は、いつのまにかその人の社会的地位や財産で評価するようになってしまった。でも本当は、その人の人間性で評価されるべきではないだろうか。今の世の中を見ると経済的に成功した人が必ずしもりっぱな人だとは限らない。お金があって良い教育を受けた子が必ずしもりっぱな社会人になるとは限らない。何かが欠落している。
こんな経験をしてから、私は、トマトや野菜を前にして、「ごめんなさい。私は今まで命をなめていました」と頭を下げ、心の底から「いただきます」と言えるようになった。 そして、いただいたあとは、「ごちそうさま。皆さんの命を私の命に代えさせていただきます」と感謝するようになった。
私はだんだん作物をつくるのがおもしろくなって、次は米づくりにも挑戦した。庭先の60坪の他に農家の方に300坪を借りた。そのうち田んぼは100坪。耕運機の他は全部手作業でやっている。プロの農家の人から見たらとても小さな面積だが、でも自分が今まで食べてきたお米がどのように育ってつくられるのか知りたくて、苗植えから、刈り取って天火干しするまで全部手作業でやってみた。これも生まれて初めての体験だった。田植えには東京から物好きな友達が手伝いに来てくれたが、何から何まで大変な重労働で、農家の人の大変さをあらためて深く実感した。そして、日本のお米のなんと安いこと。そして、それをダイエットという名で平気で残してきたこと。米づくりを通して、私はさらにいろいろなことを考えさせられた。
私は、田舎暮らしを始めてみて、私が病んでいたのは身体であって、心は病んでいなかったことを実感した。そして、いろいろな経験を通して、身近な問題として農業を考え続けている。私は自らの体験を通して、数字や知識では知ることのできない自然、自然そのものから受ける感動、昔から続いている人と自然との営み、これらをもっとリアルに、一人一人が感じることが今の時代に必要なのではないかと強く感じている。
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